ONKYO TX-SA705購入のこと
ONKYO TX-SA705 |
本来、音を聴いて選ぶべきだろうけど、要求仕様を満たして予算に見合うのは、これとPioneerのVSA-AX1AHくらいだった。
要求仕様は、Dolby TrueHDとdts-HDがデコードできること。HDMI 1.3a対応のこと。THX Select2認証取得のこと。THX認証取得の条件を満たそうと思うと、スピーカからきちんと揃えないといけないのだけど、まあいい音の目安ぐらいにはなるかと思って。
モニターがPioneer PDP-5010HDなので、アンプもPioneerで揃えればHDMIコントロールが使えていいかと思ったのだけど、リモコンがあまりにダサくて二の足を踏む。これは家電のデザインだ。家電のリモコンには日本語が書いてある。家電のデザインがなされたリモコンを持つアンプは、いかほどのものだろう。
そんなわけで、TX-SA705に決定。こっちの方が安いしね。
サラウンドのセットアップは、付属のマイクを使って自動的にできる。こんなの、もうマニュアルでやりたくない。
もともと使っていたのは、SonyのDAV-S800という5.1chのサラウンドシステムだが、これがマニュアルセットアップだった。大変なのだこれが。どうにもうまくいかなくて、前方中央から斜め前に音が移動するときなど、おかしな感じになっていた。
TX-SA705でもマニュアル調整はできるが、必要を感じない。前方で横に移動する音もなめらかに繋がるし、真横からも音が聞こえる。真横にスピーカは無いのに。でも後方の横移動はいまいち。サラウンドバックスピーカもあるといいかも。
音は、いい。
私がなにか買い換えるなら、普通はグレードアップなので、よくなるに決まってる気はする。
やわらかい感じで、でも細やかな音が聞き取れるような。
やっぱりDAV-S800の音は硬かったのだなと思う。ボリュームのわりに耳をつくような感じがした。そのくせ聞き取りづらかった。
不便に思ったのは、HDMI入力の音声を聴く場合、出力側のHDMI映像機器で映像が映るようにしておかなければならないこと。
例えば、HDMIで繋いだPLAYSTATION 3でSACDを再生しているとき、HDMIで繋いだPDP-5010HDを映しておかなければならない。
なんたる無駄。意味不明な仕組み。
リモコンは、普通の赤外線リモコンなのだけど、発信部が横側にも回り込んでいて、真横に向けてても結構使える。
PS3はプレイヤーとしての位置づけが大きかったので、別売りの純正リモコンを使っている。これはBluetoothという無線なので、PS3に向ける必要がない。
使ってみて予想外だったが、リモコンを本体に向ける必要がないというのは、かなり使い勝手がいい。
しかし、サブウーハが無いと低音が物足りないな。
スピーカはDAV-S800のものを使い回そうと思っていた。一度に全部更新するのも、なかなかの出費だし。
そしたら、TX-SA705では、パワーアンプ付きのウーハが要るのだそうな。持っていたのは、スピーカケーブルを繋ぐだけの、アンプの無いウーハ。
ONKYO SL-D500 |
いろいろ店員に話を聞いて、ONKYO SL-D500を購入。来週の土曜に届く予定。またかよ。
PDP-5010HDとPLAYSTATION 3購入のこと
Pioneer プラズマディスプレイ "KURO" PDP-5010HD
画質といえばプラズマで、その中でもっとも綺麗なフルHDパネルといえばPioneerと信仰しているのだけど、前モデルは50V型でヨドバシ特価99万8千円とかで、絶対買えねー、とか思っていた。
そしたら新モデルは30万くらい安くなってる。これなら買えるんじゃないの?と思ったのが運の尽き。
まあそれでも、もうひとつのプラズマであるPanasonic VIERAの評価記事で、こんな記述を見つけたので、店頭で実際に見比べてみた。
たが、実勢価格にして20〜30万の価格差を、この画質の差に見出せるかというと難しい。やはり、コストパフォーマンスに関してはVIERA PZ750シリーズが優れている。
電器屋はリビングに比べて明るすぎるので、画質評価に向いていないと聞くのだけど、それでも人の言うこと信じて全然見ないよりはいいでしょう。
で。
VIERA新モデルで採用されたノングレア処理は、大失敗だと思った。
プラズマパネルの表面はガラスなので、ツルツルのピカピカ。部屋を明るくして観ていると、暗いシーンで自分が映る。
「リビング高画質」を標榜する新VIERAは、明るいリビングルームでよく見えるようにしたのだろう、グレアを抑えた「低反射クリアパネル」というのを採用している。
しかし、あのザラザラ感はひどい。前掲の記事では一切触れられていないが。
一応、液晶も見てみたが、やっぱり黒が明るすぎる。
120Hzの倍速駆動でも、プラズマには追いついていない。3倍速で凌駕するんだっけ。
BRAVIAのx.v.Color(xvYCC)も気にはなったが、映像ソースが無いんじゃないかと思った。以前、ブックマークコメントで「sRGBとxvYCCの絵作りは、変える必要がありそう」と書いたが、従来のsRGBと共存できるのかよくわかんない。その上、『ITmedia +D LifeStyle:イマドキのテレビ、広色域技術の秘密』によると、なんだか前途多難な模様。とりあえず、無視してもいいかもな。
で、購入。
映像は確かに美しくて堪能してるけど、そのへんのインプレッションは以下でも読んでくだされ。あんま専門的なことは書けません。ぐぐったらいくらでも出てきそうな気がするし。
- 西川善司の大画面☆マニア 第86回
- ITmedia +D LifeStyle:プラズマと液晶(1)――「KURO」のインパクト
- ITmedia +D LifeStyle:プラズマと液晶(2)――「KURO」のインプレッション
プラズマの難点といえば、焼き付き。新品は特に起こりやすいらしい。
ネットをざっと見回すと、1000時間くらいのならしがいるとか、いや100時間でいいとか、果ては「焼き付きなんて起こらない。液晶陣営の工作員の仕業だ」なんて極端なものもある。
ま、マニュアルにもメーカーサイトにも注意事項として書いてあるので、実際起こりうるのだろう。いくつか焼き付き対策機能もあるし。
「オービター」は、表示位置をゆっくり微妙に動かす機能。TVの時刻表示や局のロゴ、ゲームのインジケータなど、同じ位置にずっと表示されているものが焼き付くのを防ぐ。
4:3の映像を検出して、映像の明るさに応じて左右を明るくする機能もある。ただ、シネスコサイズで上下が黒くなっているのには、対応できない。4:3映像で、さらに上下を切った16:9映像──いわゆる額縁──にも対応できない。
画面全体の輝度を落とす「省エネモード」というのがあるので、これも使っている。
軽度の焼き付きだったら、帯状の白を左から右へ流すのをひたすら繰り返す「ビデオパターン」を表示させて、全体を同じくらい焼き付かせることでごまかせるらしい。ということは、フライパンみたいに最初に全体を軽く焼いておくと、いいんじゃないだろうか。わかんないけど、一応やっておいた。寿命縮めてるような気がしないでもないけど。
PLAYSTATION 3
PLAYSTATION 3(20GB) |
デジタル放送などに期待するものは何もないので、BDプレイヤーかHD DVDプレイヤーが必要。
BDだな。
HD DVDは、技術的に筋が悪いんだと思う。次世代で大容量が必要だというのに、容量で負けたってことは、それを達成できる技術じゃなかったということ。「H.264なら、good enoughだ」とか言ってたけど、技術者である私としては"Good enough" is not enough。裏返せば、「MPEG2には不足」だと言ってるだけ。
画質に優れたβが普及しなかった例も、まぁ、あるのだけど。
本当は専用機がいいのだろうけど、PS3でやりたいゲームが出る予定だし、なによりSACDプレイヤーとしてもなかなか良いという話。
しかし、PS3の新発売の方は、SACD再生機能が削られている。SACD再生機能がソフトウェアのみで実現されているのなら、それを削ったところで生産のコストは下がらない。削られたということは、ハードウェアが絡んでいるはずで、新しいPS3は、バージョンアップしても同じSACD再生機能を実現することはできないだろう。
そういうわけで新発売じゃない方のPS3を購入。
『バイオハザードII』を観てみたけど、どこもかしこもクッキリしていて美しいですな。
で、SACDプレイヤーなんだけど。
HDMIからしか音声が出ない。光デジタルではダメなのだ。HDMI入力を持ったアンプなんて持ってないぞ。
ひどい、あんまりだ。むちゃくちゃ期待してたのに。
と、思っていたら、システムソフトウェア バージョン2.00で、光も出力されるようになった。公式にアナウンスされていないけど。
試してみて、「おお、確かにいい音」なんて悦に入ってたら、2ch出力ではCD相当、マルチチャンネルではDTSらしい。ひどい。
と、いうことは。
これまで持っていたSACDプレイヤーのSACD音声は、PS3が出力するCD音声よりもひどい音だったと。なんだか頭をかきむしりたくなる事態。
さらに、新しいシステムソフトウェア バージョン2.01では、マルチチャンネルがステレオで出力されるらしい。あんまりいじめないでください。
ONKYO TX-SA705 |
マナーモードをOFFにする
携帯電話は、マナーモードしか使っていないと言っても過言ではなかったのだけど、最近はずっと通常モードにしている。
マナーモードって不便なのだ。まじめに設計されてるとは思えない。
機種にもよるけど、こんなところが不便。
・着信に応じて振動の種類を変えられない
電話とメールの着信の振動が同じだったりする。
電話ならすぐ確認したいけど、メールは後でもいい。のに、振動で区別がつかないので、メールの場合でもすぐに取り出さなければならない。
・着信の振動をOFFにできない
電話とかメールとかならいいのだけど、いちいち着信を知らせてくれなくてもいいようなものは、着信音も振動も完全に切ってしまいたい。
EZニュースフラッシュという、ニュースとか天気予報とかを通信料情報料無料で配信するEZアプリがある。屋外に出たところで、急遽天気予報を知りたくなることが多いので、便利に使っている。
ただ、配信のたびに着信の振動がある。別に配信されたって、その場で確認する必要なんてないのに。
マナーモードでは、これがOFFにできない。
・着信音などの再生操作をしても音が出ない
「マナーモードで音が出ないなんて、あたりまえ」とか言うなかれ。
電話やメールは受け取り側の都合を考慮せずに着信するので、都合の悪いときに音が鳴ってしまわないように、マナーモードにするのだ。「音を出さないためのマナーモード」なんて考えは、目的と手段が逆転している。
使用者が意図して音を聞こうとしているのに、音を鳴らさないなんて、設計ミスとしか思えない。
機種は忘れたが、ソニーエリクソンの端末は、マナーモードでも再生操作によって音が出た。小さめに。よく考えてある。
カタログに載せられる機能ばかり増やしてないで、使い勝手も考えてほしいものだ。
そういうわけで、通常モードで、ほとんどの動作音をOFFにしている。音が鳴るのは充電開始と完了だけ。マナーモードしか使っていないと言っても過言ではなかったので、これで充分。
まあだから、電車で「携帯電話はマナーモードにして通話はご遠慮ください」とか放送があっても、マナーモードにはしない。
それよりも、鉄道会社は何を考えているのだろうと思う。
うるさいヤツは、携帯電話なんか関係なくうるさいのだ。電話だけをことさらに制限するより、「車内で騒がしくするな」とか言ってみたらどうだろう。まぁ、放送がそもそもうるさかったりもするのだけど。
あと、ペースメーカとかに影響があるかもだから、優先席付近では電源を切れとか。
総務省が提示する「各種電波利用機器の電波が植込み型医療機器へ及ぼす影響を防止するための指針」では、「携帯電話端末を植込み型医療機器の装着部位から22cm程度以上離すこと」とされている。
やはり総務省が実施した調査の報告(2006年, 2005年, 2002年)を読むと、これは相当な安全を見込んだ距離であることがわかる。
ここまで近づけると影響を生じる場合がある、という距離を列挙すると、こんな感じ。
方式 | 周波数帯 | ペースメーカ | 除細動器のペースメーカ機能 | 除細動器の除細動機能 |
---|---|---|---|---|
PDC | 800MHz | 11.5cm | 5cm | |
1.5GHz | 4cm | 1cm | ||
PHS | 1.9GHz | 2.5cm | 影響は確認されず | |
W-CDMA | 800MHz | 3cm | 影響は確認されず | 影響は確認されず |
2GHz | 1cm | 影響は確認されず | ||
CDMA/CDMA2000 1x | 800MHz | 1.8cm | 2cm | |
CDMA2000 1x/CDMA2000 1xEV-DO | 800MHz | 8cm | 2cm | 影響は確認されず |
2GHz | 1cm | 影響は確認されず | 影響は確認されず |
いずれの調査にも、以下のような注意事項が付記されている。
本調査では、植込み型医療機器へ及ぼす影響が最大となるよう、携帯電話端末の送信出力を最大にするなどの厳しい条件で試験をしており、調査結果(最も遠く離れた位置で影響が確認された距離等)を通常の通信状態における携帯電話方式間の比較に用いることは適当ではありません。
端末も、もっとも電波の強い機種を使ったりしているようだ。
つまり、ツイてないことが全部重なったような条件で試験を実施したとのこと。
もっとも遠距離なのがPDCの800MHzの11.5cmで、指針では、その倍近くの距離をとるようにといっている。PDCの800MHzって、FOMAとかCDMAとかの前の方式で、かなり少ないんじゃないのかな。
まあつまり、隣にならんで座っても、影響ないんじゃないかと思う。少なくとも、CDMAとかFOMAとかの、3Gと呼ばれるものを使ってる人なら、ほとんど気にすることはないでしょう。
ヘッドホン比較(ER-4S, ATH-EM7, ATH-EC7)
マーラー 交響曲第8番 サイモン・ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団 |
audio-technica ATH-EM7 SV |
誉めてるわけではない。低音は、「聞こえる」というより、体に「響く」感じで鳴るものだと思う。映画館で鳴る「ズーン」と全身に響くような音。ヘッドホンで全身に響くわけはないのだけど、そんなイメージ。
つまり、ATH-EM7は、音が「軽い」のではないかと。
これまでもなんとなく、ATH-EM7は音がクリアな感じはしていたのだけど、あんまり真面目に評価してなかった。音の良し悪しなんて、「なんとなく」を超えて本気で実感すると、お金がかかるだけなのだ。オーディオマニアがとんでもないお金をかけるのは、いい音を知ってしまったからだと思う。
でも同じ曲をヘッドホンやスピーカーを替えて何度も聴いてると、いずれ「あれ?」とか思うのだ。PCMとDTSの違いまで分かるようになってしまう。
Etymotic Research ER-4S |
audio-technica ATH-EC7 SV |
ATH-EM7が、一番クリアで高音がよく響く。低音がよく「聞こえる」。派手な音。
ATH-EC7は、EM7より幾分おとなしめだが、近い音がする。
ER-4Sは、一番しっとりした音を奏でる。低音は「響く」。いじってない感じ。
よく分かんないんだけど、電子楽器だとこういう違いはあんまり気にならないのかも知れない。原音なんて無いようなものだし、音がいくらでもいじれるので、録音された音を知っているのは、ミュージシャンとレコーディングエンジニアだけ。録音時の音の操作なのか、ヘッドホンによる違いなのか、リスナーには分からない。
アコースティックの音もいじれるし、実際そうされた録音はいくらでもあるが、原音との違いは分かる。それに、本物のクラシックではそういうことはない。せいぜいイコライジングくらいだろう。
クラシックを聴くなら、音をあまりいじらず、録音された音をそのまま再生するニュートラルなヘッドホンがいいのだろう。当然、録音が悪ければ悪い音になるが。
ソニーのMDR-EX90SLはいい音だったと思ったが、開放型であり、遮音がいまいちなのが残念だった。遮音性能はS/N比に直結する。地下鉄向きじゃない。
MDR-EX90SLの上位モデルとして10月20日に発売されるMDR-EX700SLは、密閉型ということなので期待していたのだけど、これは結構低音を力強く鳴らすらしい。ニュートラルじゃないのだ。もったいない話。
有意義な人生
ゲームしてる時間でもっと何かできたんじゃないか、という記事。
WIRED VISION / 「ゲーマーの後悔」は終わらない
これをソーシャルブックマークにクリップしたときに、こんなコメントを書いた。
「有意義な人生」なんてのはそもそも無いんだから、楽しかったらいいんじゃないの。
で、これに☆が3個ついてしまった。はてなユーザが3人、☆をつけたということ。別に多くはないけど、ほとんどのブックマークコメントは☆がゼロなので、他とは違うなにか感じるところがあったのかなと思う。
でも、誤解されてるんだろうな。誤解されるような書き方をしてるんだけどね。
「有意義な人生」とか「意味ある人生」とかいうのがよく分からない。
「有意義」というのは、例えば、名を残すとか、金を稼ぐとか、勉強して知識や技術を得るとか、結婚して子供を育てるとか、友達を作るとか、ボランティアをするとか、軍隊に入るとか、そういうこと?
なににとって、意義や意味があることだなんだろう。人生にとって? 人生に意義や意味を付加して、ピカピカに磨き上げることに、どのような意義や意味があるんだろう。
人生に、意義や意味なんて必要ない。
有意義だから、「有意義なこと」をするんだろうか。楽しいとか幸せとか、そういう理由でなくて。それって、不純ではないのか。
楽しく幸せに過ごせたら、それはかなりいい人生だと思うのだけど、そういうのは普通「有意義」とは云われない。
そりゃ、好きなことだけやっていればいいってわけでもないだろう。でも、不幸の排除とか、気がかりなことや心を痛める事態に小さく声を上げるとか、気に入らないことに怒るとか、努力してスキルアップするとか、困ってる人を助けるとか、そういうのは全部、楽しく幸せに過ごすためにやることだ。放っておいたら、心おきなく過ごすことができないからやるのだ。それ自体が楽しいこともあるが、「有意義な人生」なんていう、なんだかよく分からないもののためにやるものじゃない。
よしながふみと志村貴子の対談
『よしながふみ対談集 あのひととここだけのおしゃべり』を立ち読みする。志村貴子氏のとこだけ。
そこしか読んでいないので、書名をタイトルにするのは避けた。買ってないので、アフィリエイトリンクにもしていない。
志村氏のエッセイ的なものといえば、あとがき、なかがき、インタビュー幾つか、あとブログ『青息吐息』くらいしか読んだことないのだけど、対談読んで新発見!などはあまり無かった。
作品にそのまま出てるんだろうな。そういう話もされていた。
「作品の中で一から十まで説明することはない、そこは読者に考えてもらっていいんだ」という話もあった。
先日、京極夏彦氏の『陰摩羅鬼の瑕』を読んだのだけど、あんまり読み込む気になれなかった。
だって、全部書いてある。だからあんなに分厚くなるんだ。こいつはここで何を思っているんだろうとか、想像する余地が無い。物語も、衒学的な部分も、まあおもしろいけど、はりあいがない。
作品って、たぶん作家の中にあるものから情報を間引いて不可逆圧縮したものだと思う。その圧縮を解く過程にはある程度決まり事があるのだけど、間引かれた部分が見せるノイズみたいなものが解釈に幅を持たせる。物語が展開していくごとに、そのノイズの元になったオリジナルの情報が正確に予測できるようになっていくが、エンディングを迎えても、あえて明確にされない部分もあって、そこは自由に解釈していいんだろう。
そういう、読者にゆだねられている作品で、作家が思いも寄らないかもしれない深読みをするのが楽しいのだ。
台詞の自然さにも気を遣っているとか。音読して、おかしくないか確認するという。
また先日のことだが、TVアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』を初めて観たとき、冒頭から「こんなしゃべり方するヤツいねーよ」と思った。いや、おもしろかったよ?とても。エントリ一個書いちゃうくらい。
原作の台詞をそのまま使っている部分が多いので、不自然になりがちなのかもしれない。文字で読んでいても気がつかないが、音で聞くとあからさまに不自然になる。観てるうちに慣れちゃうけどね。
アニメの様式として、あのしゃべり方はありなんだろう。というより、ほとんどのアニメは「アニメのしゃべり方」をするんだろう。あれに慣れていると、劇場アニメ『時をかける少女』のしゃべり方に違和感を覚えてしまう。でも、『時かけ』のほうが自然。アニメの絵だから「あれ?」とか思う。
青い花 1巻 志村貴子 |
『青い花』が「ストーリーらしいストーリーが無い」なんて言われたりしてるとか。
そんなことないでしょ。人ひとり描けば、そこに必ず物語があるものだと思うけど。
『青い花』は一巻を読んだだけで、着地点がはっきり決められているのが分かる。そこに向けて描かれているものは、すなわち物語だろう。
キャラクターを否応なく動かす世界の仕組みを「ストーリー」と言っているのかな。セカイの終わりとか、ひとつながりの財宝とか、拾われ子だとか、そういうものを。それは、人を描くための題材でしかない。必須じゃない。
必須なのは人物描写であって、題材だけで構成された話なんて、おもしろくもなんともない。人物が細やかに描かれているなら、題材にかかわらず、魅力的になりうるものだ。
ハルヒが髪を切った理由
また、小説『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズの話。当然のように「内容に触れます」という、いつもの注意喚起をしておきましょう。
今度は、時系列順に読んでみた。部分的に入れ違う部分もあるが、おおむね以下の順。
- 『涼宮ハルヒの憂鬱』
- 『涼宮ハルヒの退屈』(『退屈』収録)
- 『笹の葉ラプソディ』(『退屈』収録)
- 『ミステリックサイン』(『退屈』収録)
- 『孤島症候群』(『退屈』収録)
- 『エンドレスエイト』(『暴走』収録)
- 『涼宮ハルヒの溜息』
- 『朝比奈ミクルの冒険 Episode 00』(『動揺』収録)
- 『ライブアライブ』(『動揺』収録)
- 『射手座の日』(『暴走』収録)
- (『サムデイ イン ザ レイン』(TVアニメ:放映第9話、構成第14話))
- 『涼宮ハルヒの消失』
- 『ヒトメボレLOVER』(『暴走』収録)
- 『雪山症候群』(『暴走』収録)
- 『猫はどこに行った?』(『動揺』収録)
- 『朝比奈みくるの憂鬱』(『動揺』収録)
- 『涼宮ハルヒの陰謀』
- 『編集長★一直線!』(『憤慨』収録)
- 『ワンダリング・シャドウ』(『憤慨』収録)
- 『涼宮ハルヒの分裂』
『サムデイ イン ザ レイン』。"someday"は副詞なのだが、名詞句にもなる"some day"として訳すと「いつか訪れる雨の日」となる。"someday"も"some day"も未来に対して用いる単語。よく言われているように、「アル晴レタ日ノ事」への対比として「或る雨の日の事」( a day in the rain )とでも訳すべきなのかどうか、考えてしまう。後者であれば、「time plane destoryed device」も、素直に「破壊された時間平面装置」(なんのこっちゃ)と訳せなくなって、ちょっと考察に困るな。
TVアニメのオリジナルエピソードであるが、谷川流氏の脚本によるものなので入れておいた。他のエピソードが原作に忠実にアニメ化されている中で、この話は原作の隙間にあるキャラクターの変化が描かれているため、谷川氏にしか書けない。
驚いたのは、小説家による脚本なのに、映像でしかできない表現がふんだんに盛り込まれていること。
余分な動作をほとんどしない長門が、何もない窓外に目を向けるタイミングも絶妙。文章にすると説明臭くなりそうだが、しなければ情景が分からない。小説では難しい描写。
あの空気感は小説では不可能であって、従ってノベライズされることもないだろう。するなら、ストーリーをそのままに、映像特有の表現をばっさり切って、小説でしかできない描写を加えるくらいしかない。それはそれで読んでみたい気もするが、別物になる。
あんまりいないと思うが、原作にしか興味がない人にもお勧めしたい。
で、時系列順に読んで気がついたことなど、脈絡もなくだらだらと書いてみる。9巻もあると、見逃しも多いな。
『涼宮ハルヒの消失』の表紙
涼宮ハルヒの憂鬱 谷川流 |
涼宮ハルヒの消失 谷川流 |
ハルヒが髪を切った理由
ハルヒが髪を切った理由に、どうも確信が持てない。現実の世界で女性が髪を切ることについて、たいした理由はなかったりもするのだが、これはフィクションであって、わざわざ描写されているのであるからして、何か理由があるのだろう。
願掛けみたいなものだったのか。
ヒントは、『消失』の光陽園学院に通うハルヒが髪を切っていなかったこと。『分裂』で入団希望者に「レベルの高い質問」を要求したこと。
『消失』の世界では、記憶や記録、状況などが書き換えられていた。しかし、世界が不自然であってはならないため、変更点以外はシミュレーション結果がそのまま反映されたいたと考えられる。従って、ハルヒがやりそうなことは、実際にやったことになっていただろう。髪型七変化だって入学当初はやったんじゃないか。効果がないと結論した時点でやめたのだろう。
「効果」というのは、その髪型について「レベルの高い質問」をするような人物の登場。
ハルヒの意表を突くような「レベルの高い質問」とは、「曜日で髪型変えるのは宇宙人対策か?」といったものだろう。曜日ごとに髪型を変えていたのは、そういう変な質問をしてくる奴を求めていたのだと思う。ハルヒが「変だ」と思う奴を探していたのだろう。キョンは、ハルヒに「変な奴」と思われていることになる。不本意かもな。でも、「あの変な高校生」というのは、最上級の誉め言葉なのだろう。
その上、「数字にしたら月曜がゼロで日曜が六なのか?」などと言うのだ。「よく分かってるじゃない」とも思ったかも知れない。
キョンは、「ようするに俺の意見なんかどうでもいいんだな、お前は」とか言っていたが、とんでもない。どうでもよかったら、そもそも意見を求めたりしない。自分の考えと同じことを言ってほしい、でなければ賛同してほしいんだ。
『雪山症候群』で、ハルヒが語った「人とは違う道を歩くようにしてきたの」のくだり。
あれはつまり、「そのおかげであんたに出会えた」と言ってんじゃないのか。
ハルヒが「普通」に振る舞っていたなら、キョンだって「普通」のことしか話さなかっただろう。ハルヒが変なことしていたから、キョンは面白そうに思って、「宇宙人対策か?」とか訊いた。「魔が差した」?よく言うぜ。
5月の連休明け初日の水曜日、ハルヒはそいつを見つけた。願いは叶った。だから髪を切った。
キョンが高校入学の日にハルヒに出会ったことを忘れないように、ハルヒは高校一年の5月6日にキョンを「見つけた」ことを忘れないだろう。
ところで、ハルヒは、当分髪を伸ばさないと思う。そういうことがあるのなら、キョンと付き合うことになったりとかしてそうだ。
だって、髪を伸ばして、その上ポニーテールなんかにしちゃったら、キョンに「似合ってるぞ」って言われたのを喜んでるみたいじゃないか。そりゃ嬉しかったんだろうが、そのわりに昼休みにあっさり髪を解いてしまったのも、飽きたからではなくて、それに思い至ったからだと思う。
時間というリソース
『消失』で、なぜキョンは三日間眠り続けねばならなかったのか。
時間というリソースは、複数同時に存在することができないことになっているのだろうか。時間軸は常に一本で、枝分かれしたりしてパラレルに流れることはできないということ。枝分かれするということは、世界が丸ごと複製されるということだから、単純に倍のリソースが必要になるわけで、どこから持ってくるんだそれ、質量保存則とか無視かい、という話ではある。まあ、無視できそうな女が一人いるわけだが、それは例外として、『陰謀』で古泉が語った推測は、後者の方が近いように思う。
消失後の12月20日までの時間は、キョンが三年前の七夕に戻るために、上書きして消してしまうことはできない。時間はパラレルに流れることができないから、同一の時系列内でキョンが緊急脱出プログラムを実行するという事実が必要になり、時空の再改変はそのあとに実施することになる。
その際、改変前の12月17日からの状況をシミュレートして12月21日に反映させることになるが、キョンをその再改変に巻き込んではならない。キョンはもう一度12月18日に戻らなければならず、シミュレーション結果をキョンにまで反映させると、その使命の記憶が無くなる。再改変の外にいたキョンに「この三日間はこういう事が起こったことになってる」と説明して覚えてもらうより、「あなたは寝てたから、この三日間のことはなにも知らない」の方が、リスクが少ないだろう。
また、長門の修正を12月18日に実行してしまった以上、20日までの存在が必要とされる時間も手をつけないわけにはいかない。長門にだって感情はあるが、控えめであれ普通の感情表現をする人間のお芝居ができるとも思えないし、なにより朝倉はもういない。だからこちらもシミュレーション結果を、三日間の各時間平面に連続して反映させたのだと思う。
すると、長門の修正のためには、12月20日に戻った方がよかったんじゃないかという点に至るわけで、まあどうなんだろうね。
『射手座の日』
『射手座の日』は、つい長門に注目してしまうが、ハルヒと古泉も結構興味深い行動を見せていたんだな。
まずハルヒ。
団員の身柄を賭けよう言い出したのは、古泉が語ったように負けるはずがないと確信していたからだろうが、一方でキョンが敗北も想定していることに、ハルヒは気がついた。つまり「負けたら団員を差し出そう」と本気で考えていると、キョンが受け取っているかも知れないと思う。
そこでハルヒは思い出すわけだ。キョンが、我を忘れて本気で怒ったときのことを。どんなことに本気で怒るかを。
あんな思いは、もうしたくない。食欲も失せ、キョンが誉めてくれた髪型にするくらいしか慰めるものがない事態は、もういやだ。
で、キョンの様子をうかがいつつ、こう言う。
「どうしてもって言うんだったら、まあ、あたしでもいいけどさ」
次に古泉。
長門がコンピュータ研の部活参加に同意したことについてハルヒがごねていたとき、それを諫めた。
これは、ハルヒの神的能力への心配や、『機関』の都合などとは、まったく関係がない。長門が趣味を楽しめるかどうかの問題。
そういった問題について、古泉は、いつもの微笑を顔に貼り付けて黙って見ているだけだった。ああいうことを言うのは、常にキョンだけだった。
つまり古泉は、この時点ですでに長門の気持ちを慮ったりするようになっていたわけだ。
キョンは何者?
キョンの周りには変な人間が多い。珪素構造生命体共生型情報生命素子(一発で変換できるんだな、ATOK)なんてのも登場した。
高校入学以降なら、ハルヒが引き寄せているのだろうと思えるけど、中河や佐々木はハルヒではなくてキョンの同級生だった。そして、東中には面白い人間はいなかったと、ハルヒは断言していた。いや、五年間も同じクラスになっているところからして、谷口は、まあ見てる分には面白い奴だと思っているかも知れない。なにしろ、一年生5月時点の長門が「面白い人」と言ったくらいだ。
これが、ミステリの主人公が次々に事件に遭う程度の理由なのか、キョン自身に、彼単体を観察している分には分からない、触媒的な特性があるからなのか。
『憂鬱』では長門が、『朝比奈ミクルの冒険 Episode 00』ではイツキが、「鍵」と言っていたな。『分裂』の橘の態度からも、後者のようだが。
『泣いた赤鬼』
浜田廣介童話集 |
なんて悲しい話。思わず涙ぐんでしまった。
この話を知らずに「長門は来客好きなんじゃないか」と書いた自分を誉めてやりたい。