ハルヒの異常な愛情 または彼らは如何にして心配するのを止めてSOS団を愛するようになったか


涼宮ハルヒの憂鬱

涼宮ハルヒの憂鬱

谷川流

小説『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズを読んだ。
発売順に『涼宮ハルヒの憂鬱』『涼宮ハルヒの溜息』『涼宮ハルヒの退屈』『涼宮ハルヒの消失』『涼宮ハルヒの暴走』『涼宮ハルヒの動揺』『涼宮ハルヒの陰謀』『涼宮ハルヒの憤慨』『涼宮ハルヒの分裂』の9巻分。


最近、こういったストレートなお話が好きなのは、どうしたことだろうね。『プラネテス』といい、『時をかける少女』といい、『大神』といい。
『退屈』あたりまでは、どうも火浦功氏と印象が重なっていたのだけど、『消失』以降はそういうこともなくなった。まあ、『編集長★一直線!』では、春高光画部とか、西園寺まりいとか、部室攻防戦とか、ムスカとか、そんなものを思い浮かべてしまって、物語と関係ないところでげらげら笑っていたりしてたのだけど。ハルヒは鳥坂さんだな。


しかし『分裂』が前後編の前編だったとは。しかも後編『涼宮ハルヒの驚愕』の発売が遅れているとは。まとめて一冊で読めるのなら、発売が遅れてもいいんだけどな。主に講談社方面に、立方体みたいな文庫を何冊も出している作家だっていることだし、多少厚くなってもまったく問題ない。まあ、立方体みたいなスニーカー文庫というのも、想像を絶するものがあるが。


で、この9冊を2回読んだ。
だいたい、気に入った物語は、読了したらすぐに2回目を読む。1回目にもちょろちょろ読み返しながら読むのだけど、どうしてもストーリーを追うことに気を取られてしまうので、認識できてない描写や忘れている伏線などをいろいろ拾い集めながら2回目を読む。京極夏彦氏の小説などは2回読んでも「なんか見落としてる」感が解消できないので、1回読んで諦めてしまったりするのだけど。


直接的な感想は、書かない。恥ずかしいからね。考えたことなど、以下にだらだらと書くので、そこに少し顔を出したりするかもしれない。


以降、物語の内容に触れます。未読の方はご注意ください。


ブログの1エントリにしては、バカみたいに長すぎるので、エントリ内のインデックスを作ってみた。エントリやページを分けることには意味を見いだせないので、そういうことはしない。

キョンの項目がないのは、語ることが無い訳じゃなくて、他の4人に絡み合ってて分けることができなかったため。

涼宮ハルヒ

キョンが幾度か口にしているように、涼宮ハルヒは、身の回りでなにかおかしなことが起こっていることに、無意識であれ気がついているように感じる。おかしなことを追い求めるその割には、その、本当におかしなことは避けているように見える。
なぜだろう。矛盾している。
もしかしたら、そのおかしなことは自分が引き起こしているのではないかという疑念があり、それを恐れているのではないだろうか。
古泉の語るように、涼宮ハルヒは、実に常識的な人間だ。必要に応じてすました挨拶をするあたり、普段の自分がどのように見えるか、正確に認識しているだろう。
ライブアライブ』のバンドメンバー紹介では、ついに名乗らなかった。涼宮ハルヒの顔と名前を知らない北高生などいないが、いつもならそんなことにお構いなく「SOS団団長、涼宮ハルヒ!」とか高らかに名乗りを上げる。自分は代役であり、ここはSOS団のステージではないと分かっていたからだろう。
日本一核ミサイルの発射ボタンを持たせていけない女は、実際のところ、それと気づかずに発射ボタンをもてあそんでいるようなものだった。しかし、そんなものを持っていたいと思う人間など、そうはいない。ハルヒは常識人であり、だからそのようなものを手にしていると知ったなら、まず恐怖を感じるのではないか。
『分裂』に至って、SOS団の面々は、それほどハルヒの心配をしていない。むしろ信頼している。キョンなどは、核ミサイルの発射ボタンを渡しても絶対に押さないと確信している。
その前に受け取るのを拒否するだろう。フールプルーフの仕組みも一切無いのだ。
そんなものを持っていても構わないと思えるほど自分を信じている人間など、信用ならない。キューブリックの映画を観るまでもなく。


『憂鬱』で、わざわざ夢を見る仕組みが説明されたのは、それを見るのは明け方であることを示すためだ。
キョンが閉鎖空間から戻ってきて「目覚めた」時間は、午前二時十三分。ハルヒも同じくらいの時間に「目覚めた」だろう。そして、それが夢を見るような時間でないことも知っていただろう。
でもハルヒは、あれが夢だと思いこんでいる。
ま、普通はそうだろうな。


では、なぜ『消失』の光陽園学院に通うハルヒは、キョンのトンデモ話をあっさり信じたのだろう。『溜息』では、一蹴していたのに。特別な力もなにもない、でも同じハルヒが。
ハルヒがジョン・スミスのことを誰にも話していないからと言って、ジョンも同じだとは限らない。「俺はジョン・スミスだ」と言ったところで、「なによあんた。ジョンの知り合いだったの?」とか言われるのがオチだ。むしろ、宇宙人語を翻訳できたことの方が、信憑性を高める役に立つ。ハルヒにその力を信じさせたいのなら、おそらく二人で行った閉鎖空間の話をしなければならない。そこで、キョンハルヒに何をしたかを思えば、それは告白にも等しい。いずれはそういうこともあるのだろうが。
あのハルヒは、本当に身の回りにおかしなことが起こってないから、逆にそれっぽい欠片でも追い求めていたように思う。


また、『雪山症候群』のハルヒの行動は、まるで一貫していない。
ハルヒは、あからさまにあやしいあの館で、なぜはしゃいでいたのだろう。
なぜ、偽キョンが部屋に来たことを、夢だと信じ込もうとするのだろう。
館のホールで古泉を締め上げているキョンを見て「遊んでるヒマはないの!」と言った。その割には、オイラーの多面体定理の解説に、おとなしく付き合っていた。絨毯にラクガキするのも止めなかった。遊びで多面体定理の考察をしているのではないと、知っているかのようだった。そして、「後でちゃんと見舞いに来るのよ!」と言って、一人で去っていった。なぜ、いつものように手首を掴んで引きずって行かなかったのだろう。彼らがなにをしているのか、分かっていたのではないか。
なぜ古泉の無理のある説明に納得したような顔をしたのだろう。そのくせ、長門がベッドから離れることは許さなかった。


なぜハルヒは、長門がBB弾をよけられると思ったのだろう。なぜギターを弾けると思ったのだろう。なぜ犬の病気が治せるかもしれないと思ったのだろう。
鶴屋さんが気づいていて、ハルヒが気づいていないということがあるだろうか。


ハルヒが、本当に求めていたのは、宇宙人でも未来人でも超能力者でも異世界人でもなく、ジョン・スミスだった。現実に存在することがはっきり分かっている、ジョン・スミス。自分が作った部活の名前に、その言葉を採用するくらい。
SOS団結成を決めてから、あっさりと宇宙人と未来人と超能力者を集めたのに、中学の3年間では、それができなかった。ジョン・スミスがいなかったから。
宇宙人や未来人や超能力者と「遊ぶ」──「戦う」でもなんでもいい──物語では、たいてい主人公に人間の仲間がいる。恋人だったりもする。そして、それは現実に存在する。
ジョン・スミスのような人間が存在することを、ハルヒは知っていた。告られて断わることをしなかったのは、そういう人間を探していたのではないか。
北高入学式の日、ハルヒの目の前にキョンがいたのは偶然ではないだろう。だからといって、キョン自身が、ハルヒに素っ頓狂なプロフィールを与えられているということもないだろう。そうであれば、中学時代に二人は出会ってる。思うに、現実に存在すると認識したら、ハルヒはわざわざ作り出したりしない。喋る猫が現実にいると知ったなら、それ以上喋る猫を作り出すことはないだろう。ただ、世界を大いに盛り上げるための仲間を探していて、それがキョンだった。
ハルヒは、キョンがジョンであることに気がつかなかった。だが、毎日髪型を変えるのを見て「宇宙人対策か?」と言う奴や、「数字にしたら月曜がゼロで日曜が六なのか?」なんてことを言う奴は、ジョン以来いなかっただろう。ジョンの行動はカンペを見ていたようなものだが、キョンは天然でそういうことを言う奴だった。


キョンハルヒは、最初から本当によく似ている。
『憂鬱』冒頭から、キョンは「普通でないこと」を求めていたと語る。ハルヒも「普通でないこと」を求めている。「いた」か「いる」かの違いくらい。
肝心なことに鈍いくせに、でも無意識に気がついていて、その直感を信じていないところも似てるな。
諦めたキョンは、その後もしきりに「普通」を肯定する。自分に言い聞かせるように。
しかしついには、「写真に撮るならこの情景だ」と思う。作中、最も重要な台詞だと思う。キョンは、明らかにあの状況を楽しんでいた。そして、おそらくキョンにとって、最後に日常に戻るのはお約束なのだ。日常あっての非日常。あの行動がハルヒへの気持ちから出てきたものとしても。
TVアニメはとてもよくできていたが、この点があまり描かれていなかったように感じる。キョンが、なぜハルヒを好きになったのかが。
『分裂』に至っては、二人とも長門が好きだし、みくるが好きだし、古泉が好きだし、SOS団が好きだ。
そしてハルヒは、キョンも同じであることを知ると、読んでる方の頬がゆるむくらい、とても嬉しいのだ。『溜息』でも『雪山症候群』でも『陰謀』でもそうだった。分かりやすい奴だ。

長門有希

『消失』で長門有希の残した栞が、非常に興味深い。
これは、文芸部室の、長門が最初にキョンに貸した本に挟んであった。
キョンが、異常に気がついて文芸部室に来ることは想像できる。気がつかなくたって来るだろう。しかし、その本を開くかどうかは分からない。ところが、再修正のために栞を発見する必要は、必ずしも無い。
栞のメッセージは、鍵を集める役には立っていない。せいぜい、期限を提示してキョンを急がせたことと、鍵が集まったときに起こることに対応できるようにしたくらい。
キョンが元の世界を望んでいるなら、遅かれ早かれ、SOS団の団員を集めるに違いない。期限内に集められたのは偶然の賜物で、そこに栞のメッセージの関与できた余地は無い。
パソコンが「異物」であることにも、キョンは栞を見つける前から気がついていた。パソコンになにかあったなら、大急ぎでその前に立っただろう。
ではなぜ栞を残したのか。元の自分との繋がりを示す本だからだ。元の長門を望んだからキョンはその本を開き、その本を開いたから望みがあると知ることができた。それは、長門への絶大な信頼によって、キョンに大きな安心をもたらした。
キョンに残した選択肢は、少なくとも長門にとっては、世界を選ぶものではなく、長門を選ぶものだった。元の長門と、変わった長門のどちらがいいか。変わった長門を選ぶことは、元の長門を拒絶することに他ならない。だから、キョンに選択肢を残した。元に戻してくれることを、どこかで望んでいた。でなければ、キョンの記憶を残しておく理由がない。


しかし、キョンは、その割に長門の気持ちにはさっぱり気づいていない。
長門の表情を読むのに一番長けているのは、キョンではなくてハルヒじゃないか。
雪山症候群』で、「楽しそうにしてたけど」とか「満更でもない顔してた」とか言っていて、「あんたも分かるでしょ」くらいの勢いだった。一方でキョンは、長門の「満更でもない顔」が想像できていない。
もしかしたら、ハルヒは、長門キョンへの好意にも気がついているかもしれない。長門は、いつもハルヒではなくキョンを見る。みくるだって気がついている。古泉だってそうかもしれない。キョンが一番鈍いんじゃないか。
ついでに書いておくと、「有希らしい」というのは「自分でケリをつけたい」というあたりかと思う。キョンだって、一人でいろいろ片付けているのかもしれないと思っているのにな。


ただ、長門は、自分の判断というのは、あまりしていなかったようにも思う。
射手座の日』では、長門キョンに「お前の好きにしろ」と言われて、とまどっている。おそらく生まれて初めての業務に関連しない主体的な判断に違いない。本を選ぶのも「判断」ではあるが、読書は観察に近いものであり、読者である限りは客体でしかない。読書によって得られたものをどう使うかが、主体的な行動になる。
激昂しているのに、それでもキョンに許可を求めた長門である。自分がそういうことのできる存在だとは、思ってもみなかったのかもしれない。認識の外にあるものは認識できない。
だから、自分に蓄積され続けるエラーデータの正体も分からない。この件が、エラーの蓄積に拍車をかけたかもしれない。それは、「エラー」などというものではないのだが。


その「エラー」のおかげか、けっこう来客好きなようにも見える。
少なくとも、一人でいることを好んでいるわけではないだろう。『消失』で朝倉涼子を復活させたのは、SOS団の存在しない世界で、数少ない仲間だったからではないか。もっとも、書き換えた世界を守るために、すべてを知るものとして復活させたようにも思う。「あなたが望んだことじゃないの」とか言ってたし。
『陰謀』で、みくるはキョンの鈍さに呆れていたが、長門は、まあ落ち着かなかったかも知れないが、嫌がってなどはいなかった。むしろ、できるだけやさしく接しようとしているようにも感じる。『孤島症候群』でも、よろけたりするみくるを支えてやっていた。みくるのことをSOS団の仲間だと認識しているようだ。普通に(!)「無事でよかった」と言ってたし。
もっとも、面白くない思いは抱いていたかもしれない。
ようやく一緒に図書館に行ってくれたと思ったのに。しかも、キョンときたらせっかく謝ってるのに「謝っておくよう言われた」なんて、白状してしまうのだ。そこはシラを切り通すところだろう。朴念仁にもほどがあるね。正直なんて、自分が楽になるためのものであって、いつでも正直がいい訳じゃない。


人類が未観測の現象も含めて完全に矛盾しない物理法則を、おそらく知っている長門は、定理(theorem)がお好みのようだ。
笹の葉ラプソディ』では、ゲーデルの不完全性定理(ええ、『ハルヒ』を読んだから、調べたんですよ)の第二不完全性定理。「無矛盾な公理集合論は、自己そのものの無矛盾性を証明できない」。
雪山症候群』では、オイラーの多面体定理。
相対性理論などの理論(theory)は、観測されている現象を矛盾なく説明できるという点で主流が決まる。つまり、説明できない現象が観測された時点で、その理論は覆ることになる。そして、現時点で未観測の対象は、観測済みの対象よりもはるかに多い。
定理は、公理(前提条件)に外れない範囲であれば、物理法則がひっくり返っても揺るがないものであり、情報統合思念体にも神にも覆すことができない。もっとも、長門にとって、その公理が適切かどうかは判断しがたい。現代科学でも、量子コンピュータあたりは0と1が混ぜ合わさった状態になるのだから、無矛盾でもないし。
話は脇道にそれるが、すべてを観測できたなら、あらゆるものを情報に分解することができる。素材、原料、分子、原子、素粒子、強い力、弱い力、電磁力、重力だけでなく、まだ人類が見つけていないあらゆるものを含む、最小の構成要素から文字で記述することができる。文字に変換できると言い換えてもいい。そして、文字はすなわち情報である。従って、情報というのは存在するものすべてであって、情報が結合されることにより、物体などが構成されている。「情報結合の解除」とは、それをバラすことになる。


ハルヒを除いて、もっとも強い力を行使できる長門は、しかし情報統合思念体と対立したら、簡単に消されうる立場にあった。だがそれは、『消失』以前の話。
長門が消えたら、キョンハルヒは全力で取り戻そうとするし、それは長門を通して情報統合思念体に伝わっているはずだ。キョンは、意図していなかっただろうが、長門に行動の自由を与えた。
長門が「情報統合思念体は」とか、情報統合思念体の意味で「我々は」と言うとき、自分の意見を言っていない。『溜息』で「我々は困らない」と言っていたが、あの事態が『消失』以降に発生していたのであれば、また違ったことを言ったかもしれない。

朝比奈みくる

精神操作を受けている朝比奈みくるは、自分の意志と「未来」が対立した場合、自由に動けるだろうか。
そもそも、未来人としてのみくる(小)は、なにを考えているか分かりづらい。長門や古泉が、組織の一員としての発言が多いのに対して、みくるは「未来」についてほとんど語らない。『溜息』や、『朝比奈みくるの憂鬱』、『陰謀』あたりで、ようやく見えてきた感じ。
個人的にSOS団が好きなのは確かだろう。『陰謀』でハルヒに髪をいじられている様子もそうだし、『編集長★一直線!』の「童話」でもそのような感じ。『分裂』で長門の不調を知ったときにはキョンと古泉が部室を出る前に着替えを始めていた。未来にとって長門の不調は困るというだけなら、そんなことはしないだろう。
キョンのことが好きなのも確かだろう。みくる(大)が、「チュウまでなら許します」と言うのは、別にキョンがそんなことするわけがないと思っているからではなく、みくる(小)の気持ちを覚えているからだ。「わたしとはあまり仲良くしないで」というのは、ハルヒのこともあるが、あとで辛いからだろう。モテモテだな、キョン
みくる(大)の行動から想像するに、みくる(小)にはこれから辛いことが待ち受けているようにも思う。知らない方がよかったと思えるようなことが。未来にとって、ハルヒキョンが変数であり、その調整がみくるの仕事だ。それは、ハルヒキョンSOS団にとって、いいことではないのかも知れない。だから、みくる(小)には必要以上のことが教えられていないのではないか。


例えば、『消失』の事態を回避するため、長門はあらゆる手段を講じたに違いない。可能性の高いものから低いもの、無駄だと思えることまで、気がついたことはすべて。しかし、「未来」にとって、消失は規定事項であり、起きてもらわなくては困る。
従って、この件に関してみくるに指令が下ることがあれば、それは長門の努力を無にするためのものになる。みくるがそれを知りながら任務の遂行をしなければならなかったならば、相当な苦しみが伴っただろう。
とはいえ、それは先送りに過ぎないのであり、いずれ正対しなければならない。
みくる(大)が長門を苦手とするのは、ただ緊張するなどというものではなく、申し訳ない気持ちがあるからかも知れない。


朝比奈ミクルの冒険』においてユキとイツキが会話したように、また、『陰謀』において鶴屋さんが予言したように、いずれ「宇宙」か「未来」かを選ぶときが来るのかも知れない。
はっきりしているのは、そのときキョンハルヒは「宇宙」も「未来」も選ばない。選ぶのは、個人としての長門有希朝比奈みくるの二人。
『消失』で長門がやってみせたように、ハルヒにはそれを可能にする力がある。ハルヒはその力を疑うだろうし恐れるだろうが、キョンが望むのなら行使しようとするだろう。
キョンがジョーカーを表にするのは、そのときかもね。

古泉一樹

『憂鬱』では、何を考えているのかよく分からなかった古泉一樹
『溜息』あたりでは、弱音を吐いたりして、どうやらキョンに友情らしきものを感じているようだった。
古泉は、ただ一人、バックグラウンドよりSOS団への帰属意識を口にしている。彼は『機関』が無くても、古泉一樹としてSOS団に居ることができる。彼はもっとも縛りが少ない。
「一度だけ、『機関』を裏切ってあなたに味方します」とか言っているが、一度だけのつもりはほとんどないであろう。「もう一度だけ」とかなんとか言うに違いないのだ。
キョンの、古泉に対する信頼は、口で言う以上に篤いものだと思う。


(2007/09/03追記1/2)
書き忘れ。
『分裂』において、古泉はさらっと重大なことを言っている。
「現に僕は無事ですし、朝比奈さんもそうです」
切り札は、二人に「なにか」あってからだと。長門に熱を出させる相手に「なにか」されたら、最悪どんなことになるか、理屈っぽい古泉が考えていないわけはない。
古泉は、彼なりにキョンハルヒを守ろうとしている。『機関』の構成員としてより、SOS団の団員として。
ただ、キョンが、SOS団の全員を守ろうとしていることを、古泉は分かっていない。
(2007/09/03追記1/2終わり)

みくるの「童話」

SOS団を描いたものであることは、挿絵からもあきらか。
『憂鬱』で白雪姫になぞらえられたハルヒは、『雪山症候群』で「できるだけ人とは違う道を歩くことにしてきたの」と言っている。だから、お城を飛び出した白雪姫はハルヒ
人魚がみくるで、人のいい魔女さんは鶴屋さん
射手座の日』で20の分艦隊を指揮した長門は、小さくなって7人になっている。苦笑していた軍師は古泉で、白雪姫は強力な軍隊を率いることになる。
ハルヒの記憶では、『消失』のキョンは、三日間眠り続けて、リンゴをむく音を聞きながら目覚めた。彼が王子様。
ハルヒの手が入ったのは、物語にほとんど関わっていない、王子様ではないだろうか。ベタすぎるぜハルヒさん。
その後のことは、「この」みくるには、まだ分からない。

長門の「幻想ホラー」

長門にとって大事なことが、おそらく書かれている。


『無題1』
その少女に初めて会ったとき、キョンはこう表現した。「闇色の瞳」


12月18日未明、長門は暗い瞳を持つ少女に出会った。
表情もなく、まるで幽霊のようふるまう、でもなぜか生き生きとしているように見える、自分と同じ顔を持つ少女。
長門はなにも分からなかった。ここはどこだろう。なぜ自分はここにいるのだろう。
少女は、長門にすべてを思い出させた。
でも少女は、どうするべきか、なにも教えなかった。「あなたはあなたが思う行動を取れ」と言うのみだった。
長門はなにも言わず、ただ心の中で同意すると、少女にはそれが分かるのだろう、表情はほとんど変わらなかったが、でも嬉しそうに微笑んでいるようだった。必ずいいことがある、と言っているようだった。
少女が彼女の場所に戻ったあと、長いこと躊躇った末に長門は病院へ向かう。あの人に謝らなければならない。ひどいことをしてしまった。元に戻ることはできるだろうか。


病院からの帰り、雪が降ってきた。
長門は、生まれて初めて雪を美しいと思ったかもしれない。
時を忘れて佇んでいると、ふと思い出す。
三年前、ここを訪れたばかりの頃、未来からの通信があった。なぜか同期ではなかった。いまはその理由が分かる。
それをしよう。
彼女を「ユキ」と名付けよう。


『無題2』
冒頭は、情報統合思念体にいたときのことだろう。
やがて、長門SOS団団員と出会う。長門の役目は観察であったが、交流を持つことになる。「光と闇と矛盾と常識」は、それぞれが他の4人の団員に割り当てられるのではなく、4人ともがすべてを持ち合わせている。
描かれているのは、観察者ではなく、仲間でいたいという思い。
そして、自分にその機能があるのなら、それをトラブルなく実行することができるなら、彼ら彼女らと同じように、笑ったり怒ったり泣いたりしたいという思い。情報統合思念体が、その機能を理解して、自分に実装することができるだろうか。あるいは、自分がそれを「学習」することはできるだろうか。ピノキオの奇蹟は起きるだろうか。


ところで、情報統合思念体は「命名」という概念を持っていなかった。だから、長門は自分で自分を名付けた。今は、その概念を理解してる。彼らも変化している。いずれ、長門の願いを叶えることも、できるかも知れない。




ビリー・ミリガンと23の棺(上)

ビリー・ミリガンと
23の棺(上)


ダニエル・キイス




ビリー・ミリガンと23の棺(下)

ビリー・ミリガンと
23の棺(下)


ダニエル・キイス


『無題3』
『ビリー・ミリガンと23の棺』という、24重人格を持つ解離性同一性障害(多重人格障害)患者ビリー・ミリガンの記録がある。『24人のビリー・ミリガン』の、その後を記したもの。
著者のダニエル・キイス氏の最も有名な著作といえば、おそらく『アルジャーノンに花束を』であって、キョンが(谷川氏が)これを読んでいたのだろう、『溜息』にそのネタがちょろっと出てくるが、ほかに『5番目のサリー』という小説がある。5重人格を持つサリーの物語。こちらはフィクションで、「長門有希の100冊」に含まれている。
従って、長門が(谷川氏が)『ビリー・ミリガンと23の棺』を読んでいると考えるのは、それほど見当違いの飛躍でもないだろう。十二三年前頃だったか、多重人格ものが流行ってたしね。
「23の棺」というのは、ミリガンの中の1人格が見た夢の風景で、解離性同一性障害の治療過程における人格の統合をイメージしたものと思われる。1人格に統合される過程で、ほかの23人格が葬り去られるという印象なのだろう。統合されるのだから、「総体は多少変化するが、失うものは何も無い」のだろうが、無理もないイメージだと思う。


長門が棺桶に戻るというのは、だから、いつか情報統合思念体に戻る描写であると思われる。
そして、それを明確に拒絶して、言葉にして長門に伝えたのはキョンただ一人。棺桶に座って、長門が帰るのを妨げているのは、キョンではないか。
白い布をかぶっているのは、ハルヒ。正体が分からないというハルヒ。文芸部室に「遅れてごめーん」と言って入ってくるハルヒ。いつも黒い瞳を輝かせているハルヒ
キョン長門に、好きなように振る舞って欲しいと思っている。無理しないで欲しいと思っている。微笑みが浮かべられたらいいと思っている。
長門は、自分にはそれができないと思っている。
それをすることが「発表」なのではないか。「発表することがない」とは、それができないということではないだろうか。
だが、長門が「こんにちは」と言ったときの表情を見ていたキョンは、焦る必要はないと言う。『消失』の時のように、無理をすることはないと言う。思い出すまで待つという。
そして、ハルヒが楽しそうに舞うのにあわせて、キョンが歌う。SOS団では、いつもそうだ。『消失』以降は、キョンも楽しそうに歌っているのだろう。

佐々木の安定性

佐々木の精神が安定しているのであれば、なぜ閉鎖空間が発生しているのだろう。常時一定のストレスを抱えているという考え方はできないだろうか。
「作っているような感じ」もあるし、国木田も佐々木のストレスを心配している。『憂鬱』で「だからあたしはこうして一生懸命」と言っていたように、意識的に変な部分を演じているのは、ハルヒも同じだ。
橘が「落ち着く」と言った佐々木の閉鎖空間は、キョンにとって落ち着かないものだった。まあ、彼にとっては、《神人》が暴れていた方が楽しいのかも知れないが。
あの閉鎖空間は、決して佐々木の安定性を示しているものではないと思う。


そして、人は変わるものだ。
変わること自体は、悪いことではない。ハルヒだって変わってきている。「こちらがいい」と思えるのなら、何歳になろうと、明日死ぬとわかっていても、変わったほうがいいと思う。「自分らしく」なんてバカじゃねーのと思う。
しかし、よくない変わり方もある。
谷川氏も被災されたという阪神大震災の被災者に友人知人が三人いるが、そのうちの二人が、変貌した人と、変貌を見た人。
一人は、いささかとげとげしい人になってしまった。穏やかな人だったのに。結婚を約束した人がいらしたのだが、ダメになってしまった。



心の傷を癒すということ

心の傷を癒すということ

安克昌


一人は、精神科医安克昌さん。自らも被災しながら、震災によるPTSDの治療に尽力された。震災で精神に傷を負った人は多かったそうだ。(残念ながら、癌に冒されて亡くなられてしまった)
よくない変わり方ばかりではなかっただろうが、何が大事で何がそうでないかが根底から覆った人は少なくないだろう。
谷川氏も、そういう人の変貌を近くで見ているのではないだろうか。

小ネタ

多すぎてとても書き出せないので、『分裂』からちょこっとだけ。


百人秀歌は、小倉百人一首と同じく、藤原定家が記した選歌集。内容はほぼ同一で、なぜ似たようなものが二つあるのかは諸説ある。
鶴屋さん源俊頼の歌を出題するまでの歌は、すべて百人一首にも百人秀歌にも収録されている。「やるな! ハルにゃん」と思った鶴屋さん百人一首にも歌が収録されている源俊頼の、でも百人秀歌に収録されている別の歌を出題したのだろう。
続いて詠んだ三首は、百人一首に収録されていない、以下の三首と思われる。


夜もすがら契りし事を忘れずは こひむ涙のいろぞゆかしき
 一条院皇后宮(藤原定子)


春日野の下萌えわたる草の上に つれなく見ゆる春の淡雪
 権中納言国信(源国信)


紀の国の由良の岬に拾ふてふ たまさかにだに逢ひ見てしがな
 権中納言長方(藤原長方)

参考:『百人秀歌 - Wikipedia』、『百人秀歌




千字文

千字文


「他人にはいくら優しくしてもいいけど自分のことは厳しく律しないと人間ダメになるわ」の四字熟語が、辞書的に存在しないという件。 漢字四文字で辞書に載っていないというと漢詩だろうかと思って、まだ途中読みの『千字文』の訳の部分だけパラパラ見てみたのだけど、見あたらず。 変わりに長門を表しているような詩を見つける。
耽讀翫市 寓目囊箱 (文選読み)*1 チントクとふけり読みて グワンシといちにならふ時には、 めを ナウシヤウのふくろ・はこに よす。 (訳) 読書に耽り、市場で本をむさぼり読み、 (書籍を入れた)袋や箱に、目を寄せる。
(2007/09/03追記2/2) もうひとつ追記、小ネタの書き忘れ。奇妙な共通点。 中河の妄想語りに出てきた飼い犬と、阪中の飼い犬の犬種が、同じウェストハイランドホワイトテリアなのは、なんか意味あるんだろうか。 無いような気が、すごくするのだけど。まあ一応。 あと、『陰謀』の六十二秒。 冒頭で、前年12月18日から戻ってきた時間が、出発から六十二秒後。 みくる(みちる)が元の時間に帰るときにキョンが指定した時間が、やっぱり出発の六十二秒後。 キョンがなんとなく覚えてただけ? (2007/09/03追記2/2終わり)

*1:モンゼンヨミ。音のあとに訓で読む読み方。千字文の多くは文選読みになっている