タバコを吸ったりやめたり


先週の日曜日に、4年半ぶりにタバコを吸ってしまった。
ブランクが長いもので、セブンスター二本吸ったところで吐き気にみまわれる。
次を吸う気にならない。のだけど、まあだいたいこれを乗り越えて、本数が増えていくのだ。
案の定、吐き気が収まるとまた吸ってしまった。そしてまた気持ち悪くなる。
「このまま、またタバコ吸いになってしまうのか」なんて、暗澹たる気持ちになっていたのだけど、せっかく気持ち悪くなってるんだから、またやめようと思いなおす。


タバコ吸いの頃は、悲惨だった。
タバコが美味しく感じることはごくまれであり。
赤血球は酸素のかわりに一酸化炭素を運搬し、それゆえ常に倦怠感に悩まされ。
階段を上れば息が切れ。
手と口は常にヤニ臭く。
服には焼け焦げができ。
タバコを吸っていないときは、タバコを吸うことを考えている。


リラックスや集中力は、タバコによって得られるものではない。タバコでリラックスできたり集中できたりする気になるのは、ニコチンの禁断症状によって失われていた感覚を、一時的に取り戻しているにすぎない。それが証拠に、非喫煙者はタバコを吸わなくてもリラックスできるし、集中もできる。
ニコチンの禁断症状といっても、身体的には大したことはない。手が震えるわけでもなく、幻覚を見るわけでもない。「タバコを吸いたいな」と思うだけ。タバコを吸いたい気持ちはニコチン中毒による禁断症状であって、自由意志は関与しない。
自由意志が関与しないからといって、そのタバコを吸いたい気持ちは、時に無性にカレーを食べたくなる気持ちと、大して違いはしない。その日結局カレーが食べられなかったといって、イライラしたりはしない。そんなもの。
禁断症状なんて大したことない。そして三週間もすれば、その禁断症状も完全に消える。
従って、4年半の禁煙の後タバコを吸ってしまったのは、ニコチンの禁断症状のせいではない。


タバコのCMを思い出してみよう。
ぎりぎりのピンチを切り抜けたジェームス・ボンド風の男が、さわやかな笑顔でタバコに火をつけたり。
ムキムキのサーファーが、くわえタバコしていたり。
カウボーイ風の男どもが、たき火のそばでタバコをくゆらしていたり。
元気で健康そうな女の子が、別にタバコ吸ってなかったり。
そんな風に、タフで、健康そうで、元気そうで、清潔そうなイメージを、ひとつとして言葉にはせず、視覚的に訴えかけてくる。
言葉にすると嘘になるから、雰囲気で攻めてくるのだ。


それにまんまと乗せられた視覚的な作品のクリエイターが、無意識に同じようなイメージを込めて作品を創ってしまう。
好きな作品のキャラクターがタバコを吸ってるなんて、強力だろう。
よりしっかりした人が、よりキツいタバコを吸っているというのも、効果的。




インサイダー

インサイダー

映画『インサイダー』は、タバコ会社の不正を暴く作品だが、その性質上、主人公達はタバコを吸わない。主人公のアル・パチーノなんて、いかにも吸いそうな外見なのだが、いかにも吸いそうなシーンでも、タバコを吸わない。
この、私の中に出来上がっている「いかにも吸いそうなシーン」というイメージが、タバコ会社のひとつの成果。「いかにも吸いそうな」状況になると、自分のタバコに火をつけてしまう。
いかにCMが禁止されようと、世に溢れかえるタバコを礼賛する作品によって、洗脳は実行される。
タバコ吸いに、洗脳したりされたりという意識はないだろう。タバコには良い面があると信じ切っているのだろう。だから洗脳なのだ。だから禁煙が難しいのだ。敵と己を知らなければ、百戦すべてが危うい。




禁煙セラピー

禁煙セラピー

こういったことをひとつひとつ丁寧に解説して洗脳を解いてくれるのが、『禁煙セラピー』という本。喫煙は心理的な病気なので、「セラピー」。
これを読んでしっかり理解すると、バカみたいにかんたんにタバコがやめられる。
今回、とめどなく押し寄せる洗脳コンテンツによって、また吸ってしまったが、すぐに思いなおすことができたのも、この本のおかげだろう。