タバコと煙草

タバコを吸っていたときは、タバコを「煙草」と書いていた。
なんとなくカッコよさげ。


煙草は割とイメージよく描かれることが多い。
ピンチを切り抜けた後、一服つけてうまそうに吸う。煙草に火をつけて、友人に渡す。仕事に煮詰まってきて、煙草で一息入れる。ハードな仕事の後に、煙草でリラックス。つらい気持ちを煙草で紛らす。死ぬ前に一服。タフな男とできる女の必須アイテム。


振り返ってみると、そうでもなかった。
電車ではじっとタバコを我慢。職場でもじっとタバコを我慢。非喫煙者の家でもじっとタバコを我慢。非喫煙者の車でもじっとタバコを我慢。真冬の夜も、真夏の昼も、外の喫煙所でタバコを吸い、夜中にタバコが切れるのを極度に恐れ、自由にタバコがすえる空間である、自分の家と車は灰とヤニまみれ。
一日中、タバコを我慢しているか、タバコを吸っているか。
タバコが好きなのかと思えば、会議や講習などで何時間も吸えないと、逆にラッキーだと思ったりもした。
一日40本吸っていたが、うまいと思えたのはそのうちの何本にもならなかったな、実際。


タバコを吸えばリラックスできるなんていう。では非喫煙者はリラックスできていないのか。もちろんそんなことはない。
タバコを吸ったときのリラックス感というのは、ニコチンの禁断症状が和らいだ感覚なのだという。
つまり、喫煙者はタバコを吸っていない間、ずっと禁断症状に悩まされているわけだ。ニコチン中毒である。病気だ。かわいそうに。


中毒を治すためには、禁断症状と闘わねばならない。
とろこが実は、ニコチンの禁断症状というのは非常に軽く、手が震えたり、幻覚が見えたりすることはない。「タバコ吸いたいな」と感じる程度である。1日40本を一気にゼロにした経験からいっても、これは間違いない。
比較すると、無性にラーメンが食べたくなる感覚に近い。別にラーメンじゃなくてもカレーでも吉野家の牛丼でもいい。結局食べられなかったからといって、別にどうということはない。
ちょっとイライラしたり、残念だったりするかもしれない。禁煙を始めたときのイライラは、結局その程度。
禁断症状を和らげる唯一の道は、それを絶つことである。薬物や酒は、幻覚だのが出てもまずいので、徐々に減らしたり、点滴を打ったりするらしい。でもタバコはそういうことはないので、一気にやめても大丈夫。
なまじニコチンパッチやニコチンガムなんか使うと、禁断症状が長引いてツライだけだ。
ガムやチョコや禁煙パイポで口寂しさを紛らわせても、無意識に期待するニコチンの効果はないので、これも逆にツライ。


タバコをやめるコツというのは、「もう二度とタバコを吸わない」と決心すること。それだけでいい。
決心すると驚くほどラクにやめられる。
結局は気の持ちようなのだが、気の持ち方が自由自在になるのであれば、精神科や心療内科など必要ない。つまり、その決心が一番難しい。
私は、その決心をするための本を読んで、やめた。
その気になればすむ話なので、タバコをやめようと思って、自分でお金出してその本を買うのであれば、十中八九禁煙は成功する。
あとは読んでやめるだけである。