クレタ人のパラドックス
「クレタ人はいつも嘘をつく」とクレタ人が言った。
これは「エピメニデスのパラドックス(Epimenides paradox)」または「クレタ人のパラドックス(Cretan paradox)」と呼ばれるもので、「自己言及のパラドックス(self-refferential-paradox)」の一種、「嘘つきのパラドックス(liar paradox)」の原型とされる。
でもこれ、パラドックスじゃない。
パラドックスであるとしてよく言われるのは、こう。
- 「クレタ人はいつも嘘をつく」を嘘だとすると、「クレタ人はいつも事実を言う」が事実であるから、これを言った「いつも事実を言う」はずのクレタ人は嘘をついていることになる。ここに矛盾がある。
- 「クレタ人はいつも嘘をつく」を事実だとすると、これを言った「いつも嘘をつく」はずのクレタ人は事実を言ったことになる。ここに矛盾がある。
この説明には間違いがある。「いつも嘘をつく」の否定は「いつも事実を言う」ではないのだ。正しくは、「いつも嘘をつくわけではない(でも嘘をつくこともある)」となる。
従って、「クレタ人はいつも嘘をつく」は嘘である。
おかしいな、翻訳のせいかな、とか思って、英語が原文ではないけど、英語のWikipediaをひくと、こうある。
The Epimenides paradox is a problem in logic. It is named after the Cretan philosopher Epimenides of Knossos (alive circa 600 BC), who stated Κρῆτες ἀεί ψεύσται, "Cretans, always liars". There is no single statement of the problem; a typical variation is given in the book Go"del, Escher, Bach, by Douglas R. Hofstadter:
Epimenides was a Cretan who made one immortal statement: "All Cretans are liars."
(エピメニデスは、現代まで伝わる言葉「すべてのクレタ人は嘘つきである」と発言したクレタ人である)
The self-referential paradox arises when one considers whether Epimenides spoke the truth.
似たような感じ。
あえて言うなら「嘘つき」というのは、「よく嘘をつくけど、事実も言う人」であるのが、違うと言えば違う。
この場合、「すべてのクレタ人は嘘つきである」は、事実である。
いずれにしてもパラドックスにはならない。
この問題は、発言自体の状態が「嘘」と「事実」の二種類しかないのに対し、発言内容が「いつも嘘をつく」「嘘もつくが事実も言う」「いつも事実を言う」の三種類のうち一種類の状態しか表していないことに起因する。
状態を二種類だけに制限して、否定側の状態を表すようにすれば、この問題は発生しない、はず。
たとえば、こう。
「この発言は、嘘である」