『プラネタリウムを作りました。』(大平貴之)
プラネタリウムを作りました。 大平貴之 |
「世界一」というのは、「個人で作られたものとしては」ではなく、五藤光学やミノルタプラネタリウム(現コニカミノルタプラネタリウム)、カールツァイスなどのメーカーの製品も含めてのこと。当時、最上位機種でも星は2〜3万個しか投影しなかったところ、ぶっちぎりの170万個の投影数であった。
メガスターが投影できるもっとも暗い星が、11等星。原板に開けられたパターンの大きさにすると、直径が0.001mm(1μm)になる。
ピンと来ないと思うので、IntelのCPUと比較してみよう。
大平氏がメガスターの構想を持ったのは、1995年。Pentiumの第二世代が発売された年。この回路パターンの配線幅(プロセスルール)が0.6μm。1993年に発売された初代Pentiumで0.8μm。
このパターンを焼き付けるのに、Intelは億単位の価格で売られている機械を使っている。2倍近いサイズとはいえ、個人でできるものだとは、とても考えられないだろう。
大平氏はそれを実現した。自室の7畳間にクリーンルームを作り、自動でパターンを照射していくスーパーマイクロプロッターまで開発してしまった。
「好きを貫く」というのは、こういうことなのだろう。
1996年、大平氏は大阪で開催された国際プラネタリウム協会の大会に、初めて参加。当時稼働していた、メガスターの前世代機、アストロライナーについて発表した。
その最後に、こう言ったそうだ「これは私の趣味です」。企業ではなく個人が開発したものですよ、という程度の意味だったそうだが、リーナス・トーバルズの『それがぼくには楽しかったから』を思い出さずにはいられない。
この本を読んでいて、少し残念だったのは、技術的にはあまり深入りしていないところ。
原板のマスクはどうなるんだろう、と思って読み進んでいたのだが、いつのまにやら解決していたりして。
いや、そういう本じゃないってのはわかってるし、技術的な話を始めると止まらないんじゃないかと思ったりもするのだけどね。
現在は、410万個の投影数を持つメガスターIIが、日本科学未来館と、大平氏の地元である川崎青少年科学館で常設展示されている。
メガスターを初めて見たのは、日本科学未来館のエアドームでの展示だったが、あの頃、乱視持ちのくせに眼鏡もコンタクトも持っておらず、もったいないことをしてしまった。また見に行こう。
ギガスターの産声 大平貴之 |
17等星は、11等星の約0.004倍の明るさである。つまり、パターンの面積を0.004倍にすればいい。直径にすると、その平方根で約0.063倍だ。したがって、パターンの直径は0.063μm(63nm)。
またIntelのCPUを引き合いに出すが、現在最新のプロセッサのプロセスルールが45nm。
大平氏なら、やってしまいそうな気がするね。