思いこみから逃れる方法

タバコの本数は、驚くべき加速度で増えている。
会社では、限られた時間しか使えない、職場から離れた喫煙所にも行くようになった。
吸っているのがタール1mgなので、吸い過ぎて気持ち悪くなることがないのが、またいけない。二箱吸っても40mgで、先日のセブンスター3本(14mg×3=42mg)に及ばない。タールが少ないのはいいが、煙を吸い込んでいるのは同じで、一酸化炭素の量は変わらないだろう。


最近の、「smoking」で括れる一連のエントリは、タバコをやめるために書いている。
「バカみたいにかんたんにやめられる」本を読んでやめようとしたのだが、やめられない。
実は、かの本には、「この方法は一回しか使えない」と書いてある。
「二度とタバコを吸うな」という戒めでもあるのだろう。実際には、その本を読んで二回やめた。ただし、一度禁煙に失敗してから、次にタバコをやめるまで、5年ほどかかっている。
また5年もタバコを吸うなんて、御免である。


ニコチンの禁断症状は大したことないのだから、思いこみから逃れることができれば、タバコをやめられるはずだ。
思いこみから逃れるとは、視点を変えるということ。
「卵を立ててみろ」と言われたら、殻を割って立てるという方法を思いつくこと。
何かを信じ込んでいるとき、それは思考の土台になっていて、思考の対象にはなっていない。何を信じ込んでいるのか、認識できていないのだ。
従って、この土台を揺るがして、思考の対象にすることが必要になる。
天才と呼ばれる人は普通にやっていることらしいが、私には難しい。
そこで、タバコをよくよく見つめてみることにした。うまくいけば、ゲシュタルト崩壊が起こるかもしれない。