必要以上の品質



世の中、ナメた話というのはいろいろあるが、ここまで消費者をナメた話はそうそうお目にかかれまい。

昨年末、法制問題小委員会で「廃止も含めて再検討」という結論に達した、録画録音補償金問題。ここまでの結論が出ておきながら、なんともう一回「私的録音録画小委員会」という同じ小委員会クラスの会を再編成して、事実上議論しなおしだという。
(略)
いいか、あれだけ大騒ぎしてネット中が大注目したあの問題が、チャラだぜ?

(強調は引用者)


「音楽のコピーコントロールをしたいなら、CDとのハイブリッドが可能なSACDを普及させて、CDの音を相対的に悪くすればいい」と書いたことがある(どうやって普及させるのかはリンク先を参照。音楽業界の努力が必要だが、それくらいやれと思う)。
より良い音が普通になれば、CDのコピーはアナログコピーと同様の、劣化コピーと見なすことができる。品質を落とす方向に技術を用いるなんて、とんでもない。
良い考えだと思ったが、以下の記事を目にして、思わず我が身を振り返る。奇しくも、同じ小寺信良氏の記事。



だが今はそこそこの機材でも、ある程度のレベルまでリアルで生々しい表現が可能になっている。これで十分、それ以上の品質が想像できない、という人たちが出現しても、おかしくない。つまり現状を超えてさらなる「良さがわかる」という人たちの人数が、昔に比べれば激減しているのである。これはあまり世の中の牽引力にはならない。


SACDは確かに音が良い。
購入したホームシアターセットがソニー製だったせいか、たまたまSACDに対応していたので、2枚ほど持ってる。1枚はCDとのハイブリッドなので、聴き比べてみると、明らかに違う。マルチチャンネルだと、ホールの反響音が美しい音で後ろから聞こえたりするわけで、本当に素晴らしい。
じゃあ、SACDをよく聴くのかというと、そんなことはない。普段は手持ちのCDを全部入れたiTunesで、ほとんど全曲をシャッフルプレイである。
結局、正座して、音楽を聴く以外なにもしない時間なんて、そうそう取れないわけで、一定の品質さえクリアしていれば利便性が勝る。
私にとっての「一定の品質」なんてのは、192kbpsのmp3をオンボードのオーディオチップで鳴らす程度だ。


ただね。やっぱりね。
192kbpsのmp3が所有物のマスターでは、いやなのですよ。mp3に落としてそればかり聴くからといっても、やっぱりCDは手元にほしい。正座して音楽聴きたいこともある。だから、iTunes Music Storeで買い物をすることもない。
それはつまり、買い切りの所有物であるから。
「ながら」で聴くなら定額で聴き放題なんてサービスで充分とも思うが、正座して聴きたい曲は、やっぱり良い品質のものがほしい。
映画だって同じだろう。Dolby Digitalよりdtsがいいのだ。
だから、最初に述べた「前向きなコピーコントロール」をやって欲しいのだ。
そんなのは、一部のスキモノだけですかね。