ラトル指揮『千人の交響曲』



マーラー交響曲第8番
マーラー 交響曲第8番

サイモン・ラトル指揮

バーミンガム市交響楽団

サイモン・ラトル指揮、バーミンガム交響楽団演奏のグスタフ・マーラー交響曲第8番「千人の交響曲」がSotto Voce: The Art of the Blogで紹介されていた。
私は、そこに書かれている「なじみの無い人」になるわけだが、そもそもクラシックにあんまりなじみが無いていたらく。
まあそれでも、カルロス・クライバー指揮の交響曲が大分集まってきたので、次はなにを聴こうかと思っていた矢先である。そういえば、ラトル氏の写真は、よくCD屋で見かけていた。
というわけで、購入。もちろん、この曲自体、聴いたことがない。


聴いてみると、普通の交響曲とは、ずいぶんと体裁が違う。
全編に合唱がついているし、「第何楽章」でなくて第一部・第二部という構成。
じゃあ「第一部」を「第一楽章」に読み替えればいいかというと、コトはそう単純ではないらしい。
ライナーノートを読んでいると、山田真一氏は、


しかし、曲の構成を見ると、明確にシンフォニーとなっている。第1部は、単一のソナタ楽章で、2つの主題による提示部、続く展開部、再現部、コーダという伝統的なソナタ形式を踏襲している。
(中略)
また、第2部は単一楽章ではあるが、アダージョスケルツォ、フィナーレという要素から成り立っている

と述べている。そして、同じライナーノートで、コンリン・マシューズ氏は


第一の違いは、2楽章しかないという点である。第2楽章を構成するゲーテの「ファウスト」の荘厳な設定の中に、緩やかな楽章(引用者註:アダージョ)、スケルツォ、フェイナーレという定型どおりの3楽章を見いだそうとするのは、見当違いといわざるを得ない。

とする。同じライナーノートに、まったく相反する説が載っているのだ。
もっとも、そのような理屈がよく分かっていない私は、ふーん、と思うだけなのだが。
2楽章しかない交響曲としては、シューベルト交響曲第8番『未完成』がある。ただあれば、名前の通り未完成だから2楽章しかないのであって、完成品として2楽章な訳じゃない。この曲は、作曲途中にシューベルトが死んでしまったから未完成なのだと思っていたら、どうもそうではないらしい。


カルロス・クライバー指揮、ウィーンウィル演奏、フランツ・シューベルト交響曲第3番・第8番《未完成》 付属のライナーノートに、こうある。


《未完成》の2楽章はその比類ない美しさにもかかわらず、そのままでは第3、第4楽章を生み得ないひとつの完結性を持っているといってよいであろう。シューベルトはまったく芸術上の理由からこの曲を完成し得なかったと見るのが一番穏当のようである。


マーラー交響曲第8番に話を戻すと、この曲を聴いていて思い出したのは、『MATRIX Revolutions』。特にラストの『Spirit Of The Universe』は、まさにこんな感じ。あれはマーラーの影響だったのかな。
上記Sotto Voceの村山尚武氏の周囲には、マーラー好きはあんまりいないようなのだけど、なかなかよかった。
これで、次に聴いていくクラシックに、バリエーションが出てきた。マーラー作曲でいくか、ラトル指揮でいくか。まずは、ラトル指揮のマーラー作曲か。ああ、クライバー指揮のベートーヴェン交響曲もよかった。第6番『田園』なんて、びっくりした。第4番もすごかった。ベートーヴェンを比べて、聴いていくのもいいかも。
これで当分困らない。困るのは資金だな。