考える道具

梅田望夫氏提唱の「ブログは知的生産性の道具」というご意見には、わりと全面的に賛成。
読者の視点からして、いろいろな考え方を見ることができる。自分の視野の狭さと考えの浅さを痛感する次第だが、これがなければ気づくこともできなかったろう。
そうしているうち、読者として受けた膨大な入力に加え、もともと自分で考えてきたことが、いろいろと溜まってきた。それを出力してみたくなって、このブログを始めた。始めたのは昨年の8月で、まあ、ずいぶんと出足は遅いといえる。




けなす技術

けなす技術

山本一郎

自分の考えを洗練させるにあたって、議論というのは大変に有効な手段である。だから、コメントもトラックバックも、一切の制限をしていない。
で、そういう議論をしようと思うと、そもそもアクセスを集めなければならない。『けなす技術』(山本一郎著)によると、ある程度のアクセスを集めるには、内容は二の次で、とりあえず毎日更新すればいいらしい。
これができない。どうでもいいテキストを書いたって、考えることにはならない。しっかり考えて、多少なりとも読み物として成り立つテキストを書くと、時間がかかる。私は頭の回転が遅いので、こんなテキストを書くにも結構な時間がかかる。これを毎日続けることはできない。
たとえば、あるニュースサイトで、おもしろいコラムを不定期連載している人がいた。ところが、これが定期連載になってからというもの、すっかり内容が薄くなってしまった。そういうことには、したくない。


仕方ないので、議論するのは諦め気味。実際、議論が巻き起こっても、毎日ちゃんとフォローできるのか、あやしいものだ。
いまのところ、自分の考えを文章にしてまとめるだけであるが、それだけでも一応頭の整理はできる。
しかし、自分の間違いとか偏りとかは、分からない。人のブログで、たまたま同じ話題が議論されていれば、参考にする程度。逆に、人のブログでの議論に言及する場合は、それを参考に書くことができて、ありがたい。


自分の専門分野について書こうと思ったことはない。
ノウハウなどは、だいたいネットや本で見つけたもので、オリジナルではないから。


もう公知のことだから自分が語るまでもなかろうという自制が働く。

梅田氏の感じていることは、その通りなのだ。
そういうのを、メモランダム的に書いておくのも、ひとつのやり方かもしれない。しかしそれは、ネットを探せば他で見つかるもので、誰かに便利な物になるわけではない。自分のためだけのメモになってしまう。
が、それでも試してみる価値はあるかもしれない。バックアップにもなるし、どうせこのブログは自分のためにやっているのだ。


ブログをアピールの為の道具としたときは、また違うのだろう。
ここで、実名で書くかという議論になる。


アメリカは実名Blogが多く、日本は匿名(ペンネーム)Blogが多いというのもよく言われていることだが、それとも関連するのかもしれない。アメリカに住んでいて思うのは、アメリカ人の自己主張の強さ、「人と違うことをする」ことに対する強迫観念の存在である。彼等は「オレはこういう人間だ、私はこう思う」ということを言い続けてナンボの世界で生きているから、Blogというツールもそのための道具として使われる。日本はそうシンプルではない。「楽しんでいただけましたか?」的なサービス精神旺盛で面白さを追求しているのが、日本の人気Blogの特徴のようにも思える。自己主張よりも読み手に楽しんでもらえるかどうかのほうが重要-->だからペンネームでいい、という感じ。それがPage Viewの多いBlogの日米での違いになっているような気がする。

「楽しんでもらおう」というのは書いている目的ではないが、書く以上は楽しんでもらいたいとは思う。
ただ、それが匿名で、という理由ではない。親戚友人に見つかったら恥ずかしい、というのはあるが、実は些細な問題。開き直ってしまえば、誤解されなくていいかもしれない。
気になっているのは、実名で公開することによるリスク。
ただ、これまでそのリスクを過大評価していたような気がしなくもない。漠然と「リスクがある」と思っていて、具体的に、どういうリスクがあるかを考えていなかった。そんな風に考えると、意外とたいしたこと無いような気もする。Googleでは馘になった人もいるけど、それは本人のせいなんじゃないか。
そんなわけで、実名にするかどうか、ここしばらく悩んでいるのだった。